先日、VC MARKET FITというブログで、興味深い記事を読んだ。著者のJack Cantillon氏(VCファンドGreen Roomの共同創業者)は、AIによってソフトウェアの実装コストがゼロに近づく未来では、企業の差別化要因は創業者やCEOの「美意識」に収斂していくと論じている。ファッションデザイナーのJonathan Andersonを引き合いに出しながら、これからのテック企業はLVMHのようなマルチブランド・ポートフォリオ型組織になっていくというのが記事の骨子だ。
面白い論点だと思う一方で、読みながら強い既視感を覚えた。コロナ禍前後で流行ったD2Cブランドの競争ロジックと、本質的に何が違うのか。以下、その違和感を出発点に考えたことをまとめておきたい。
D2Cへの既視感
D2Cブランドの多くは、機能や価格でほとんど差がつかない商品を、世界観やストーリーで差別化するというモデルだった。「実装がコモディティ化すれば、残るのは美意識だけになる」という記事のロジックは、形としてはこれと同じに見える。もしPMFを達成し伸びていく企業に限った話で、しかも差別化ポイントが結局は世界観のようなものでしかないのだとしたら、正直、退屈だと感じた。
LVMHは「便利」を売っていない
ただ、考えを進めるうちに一つ重要な違いに気づいた。LVMHは便利さを売っているわけではない。バッグが便利になることはないし、アクセサリーには機能的な差別化という概念自体が存在しない。つまりラグジュアリーの価値は「便利さ」とは別の軸——稀少性やアイデンティティ、地位のシグナリング——の上に成立している。
一方、ソフトウェアの実装コストがゼロに近づくというのは「便利になる」という軸の上での出来事だ。この二つの軸を同じ土俵で語っていいのか、という疑問が残る。コモディティ化の標準的な帰結は、本来「利益率ゼロに向かう機能と価格の消耗戦」であって、ラグジュアリー化はかなり特殊な脱出経路のはずだ。
とはいえ、これはB2Cの可視的な商品に限った話でもない。B2Bであっても、機能と価格が同水準なら「このCEOの雰囲気が気に入らない」という理由で選ばれない、ということは十分起こりうる。純粋に機能と安さだけを突き詰めれば、それは作業着のような「機能×最安値」を探すだけの消耗戦になる。美意識・雰囲気・信頼による差別化は、そこから抜け出すための、限られた出口の一つなのだと思う。
D2Cの教訓——美意識だけでは障壁にならなかった
ここで思い出すべきなのは、D2Cブランドの多くが結局この出口を守り切れなかったという事実だ。マットレスのD2Cブランドとして知られたCasperは、上場後まもなく評価額を大きく落とし、身売りに至った。広告費に依存した顧客獲得コストの上昇と、模倣ブランドの増加が主な要因として指摘されている。世界観を打ち出すこと自体は、他社の参入を防ぐ障壁にはならなかったということだ。
LVMHの本当の強みは、クロスセルではなく「時間」
では記事が引き合いに出すLVMHは何が違うのか。当初、私はLVMHのマルチブランド経営を引き合いに、「D2Cが成功後に多角化を試みても、この構造は再現できないのでは」と考えたが、これは訂正が必要だった。
実際に調べてみると、LVMHは各ブランド間でのデータ統合やクロスセルをむしろ意図的に避けており、ブランドごとの自律性を強く保っている。グループが中央集権化しているのは顧客データではなく、資本配分・不動産交渉・原材料調達を含む垂直統合されたインフラ、そしてブランドを横断した人材の育成・異動だ。さらに、数十年単位でブランドに投資し、即座のリターンを求めないという「忍耐強い資本」の性質も特徴的だ。
同じ発想でロールアップを試みたAmazon FBAブランドの集約企業(Thrasioなど)は、この種の資産——時間をかけて積み上がった資本・人材への磁力・忍耐強い投資家——を持たないまま構造だけを模倣し、うまくいかなかった。つまり「マルチブランド化」という構造そのものは誰でも概念的に模倣できるが、それを機能させる資産は一朝一夕には作れない。
Appleという例外——美意識経済が現実に機能したケース
ここで一つ、実際に美意識による差別化が機能した例を挙げておきたい。iPhoneだ。これは厳密にはソフトウェアではなくハードウェアだが、示唆的なケースだと思う。
先に述べた通り、美意識による差別化が効くのは、手に取れる・身につけられる・人に見られるという条件を満たす商品だ。iPhoneはまさにこの条件を満たしている。つまりAppleの成功は、この記事の主張を裏付けるというより、「美意識が効く条件」を限定的に満たした稀な事例だと捉えた方が正確だろう。
ただしAppleの実際の強さは、美意識単体ではない。工業デザインに加えて、エコシステムを乗り換えると失われる利便性(後述する「フロー型」の適合)、そして一人の突出した人物が長期にわたって経営の中心に居続けたという組織的な持続性——これらが揃って初めて成立した、かなり特殊な組み合わせだ。Jonathan Andersonのような人材が稀にしか現れないのと同様、Steve Jobsのような人物も稀にしか現れない。Appleは「美意識ゲームは誰でも勝てる」ことの証明ではなく、宝くじレベルでしか成立しないことの実例だと捉えた方がいい。
なお、こう考えるとスマートフォン市場全体を「Apple=美意識、Android=消耗戦」と単純に二分するのも正確ではない。実際、Android陣営の中にも、透明な筐体デザインで知られる英国発のチャレンジャーブランドのように、美意識を前面に押し出し、著名なアーティストを株主として迎えるところまで踏み込んだ企業も出てきている。一方で、最も安価な価格帯は依然としてバッテリー容量や画面の明るさ、ストレージといったスペック競争が中心だ。つまり分岐線は「Android対Apple」ではなく、「価格帯・ブランド戦略」がOSを横断して走っている、と捉えた方が実態に近い。
すべてを貫く軸——「時間」という希少資源
ここまでの論点を並べると、一つの軸に収束していく。信頼にせよ、人材を惹きつける力にせよ、忍耐強い資本にせよ、耐久性のある差別化はすべて「時間をかけて積み上がる資産」に依存している。そしてAIが圧縮しているのは、まさにその「時間」そのものだ。美意識で差別化するのか、実装のスピードで差別化するのか、という対立の立て方そのものよりも、「時間を味方につけられるかどうか」の方が、本質的な問いなのではないかと思う。
データにも「ストック」と「フロー」がある
この視点はデータの話にもつながる。データには二種類ある。一つは購買履歴や登録情報のような静的な「ストック型」で、これはAIエージェントによる移植・ポータビリティが技術的に進めば、蓄積の時間を短縮できる可能性がある。もう一つは、使い続けることでシステムがそのユーザーやチームの癖に適合していく「フロー型」で、これは実際に使われる時間そのものでしか生まれない。
だとすれば皮肉なことに、AI時代において最も希少で防御力の高い資産は、美意識(この記事が主張する差別化軸)でもコードそのもの(旧来のSaaSが前提としてきた参入障壁の議論)でもなく、「AIでは加速できない、実利用の蓄積」そのものなのかもしれない。ただし、それを製品体験に翻訳できて初めて資産になるのであって、データを溜めているだけでは意味がない。
可視性は「射程」の問題
先のAppleの話で「手に取れる・身につけられる・人に見られる」という条件を挙げたが、これは可視性の有無ではなく、可視性が届く範囲(射程)の話として捉え直した方が正確だと思う。
これは先に触れたB2Bの例——「このCEOの雰囲気が気に入らない」という理由で選ばれない、という話——を思い出すとわかりやすい。買い手がCEOの雰囲気を知るには、商談の場やカンファレンスでの登壇、SNSでの発信など、何らかの形でそれが可視化されている必要がある。つまりB2Bにも可視性は存在する。ただしその射程は基本的に狭く、専門家同士のピア集団に閉じている。一方、LVMHのバッグやiPhoneのような消費財は、街を歩く見知らぬ他人にまで可視性が届く。B2BとB2Cを分けているのは可視性の有無ではなく、その射程の広さだと考えた方がいい。
SNSでの利用の公言や、継続利用が外部から観測できる状況は、この射程を消費財と同じくらい広げうる。実はこれに近い現象は、NFTのプロフィール画像がすでに先取りしていた。所有権を外部から検証できる形で誇示するという仕組み自体が、まさにこの機能を果たしていたと言える。今はSNSでの部分的な可視化とNFTのような一部の実験に留まっているが、仮にVRのような電脳世界での利用が可視化・一般化していけば、ソフトウェアの選択が、街中で見えるバッグと同じくらい射程の広いステータスシグナルになる未来も考えられる。
結論——美意識経済は必然か
ここまで考えて、最初の「退屈だ」という直感は修正が必要だと思う。美意識・世界観による差別化そのものはD2Cと地続きで、目新しいものではない。ただし、AIが実装コストとストック型データの蓄積時間を圧縮していく中で、最後まで圧縮できない「フロー型の適合」にこそ、次の競争優位が宿るとすれば話は変わってくる。
これまでソフトウェア業界の熱狂の源泉は、他人には作れないものを自分の技術力だけで作り上げ、それによって市場で出し抜くという快感にあった。美意識中心の世界に完全に移行するなら、その快感は失われるかもしれない。しかし実利用の蓄積を通じてしか磨けない「適合性」の設計が次の競争軸になるのだとすれば、そこにはコードの独自性で出し抜くのとは別の、しかし確かに技術的な——そして時間をかけて育てる意味のある——面白さが残っているように思う。

